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生きている「郭」を見つめて

Posted by admin on 25th 5 月 2008

「廓」という字を辞書で引くと「城、とりで等の周囲にめぐらす土や石の囲い(をもうけた地域)、狭義では遊廓を指す」とある。この後半部分、遊廓=遊女屋 =売春とつながってゆくイメージの為に「廓(くるわ)」というひびきを嫌い「花街(はなまち)」と呼ぶ人が多いが、前半部分に於いて、まことに的を得た表 現であり、「花街」とは比較的新しい言葉であるので、あえて「廓」と呼ばせてもらうことにする。江戸時代、幕府が遊女屋の営業を一部地域にのみ許可し、一 般地域と隔てたことによって生まれたすばらしい文化を、京都の宮川町という廓を背景に見つめなおしてみたいと思う

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お座敷遊び入門編 其の三

Posted by admin on 25th 5 月 2008

宴席で芸、舞妓がつとめる「お座付き」と呼ばれる芸は、一般的な席なら季節や京都にちなんだ舞を2、3曲披露するだけであるが、祝儀、不祝儀の折りは特別なものとなる。
祝儀の場合の「祝舞(しゅくまい)」は、宴席の規模に合わせてさまざまな曲が用意されているし、鳴物(太鼓、小鼓、大鼓、笛)を付けて「出囃子(でばや し)」にするなど、いくらでも豪華にできる。また、「素囃子(すばやし)」といって鳴物と唄、三味線だけの演奏もよく大きな祝宴で披露されている。
法事などの不祝儀の場合は、故人を偲ぶ内容の舞にしの笛を効果音に入れたりして、しっとりしたムードに仕上げることが多い。亡くなって日の浅い法事なら、 芸妓は一つ紋の色無地の着物に黒の不祝儀の帯で宴席に出る。法事の席に、とびっくりされる方も多いと思うが、京都では、馴染み客が亡くなっての法事の席に 芸妓が呼ばれるのはけっして珍しいことではない。法事や葬式に芸妓や舞妓の姿を見かけるのは、故人がお茶屋の馴染み客であったということを証明する、これ もまたひとつのステイタス・シンボルなのだ。
祝儀、不祝儀いずれの場合も、予約を入れた時点で相談しておいた方がよい。内容によっては呼ぶ芸、舞妓の顔ぶれが替わることもあるからだ。難しい曲なら芸暦の長い芸妓でなければできないものもある。

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お座敷遊び入門編 其の二

Posted by admin on 25th 5 月 2008

場所と時間が決まったら、呼ぶ芸、舞妓についても女将(或いは責任者)とよく相談しておくとよい。
芸妓には二つのタイプがある。「立方(たちかた)」と呼ばれる舞を専門とする妓と「地方(ぢかた)」と呼ばれる唄や三味線を専門とする妓。もちろん両方で きる妓もいて、ケースバイケースで唄ったり弾いたり踊ったりしている。相対に「立方」は若い妓が多く、「地方」は年配者が多い。唄や三味線の習得にはかな りの年月を要するからだ。
舞妓はその名の通り全員「立方」である。舞を見たい場合や、唄やゲームで騒ぎたい場合は、必ず両方を呼ばなければならない。経験の浅い舞妓ばかりでは会話 がうまくすすまないこともある。どのように宴席を盛り上げたいのかについても(接待ならば特に)よく相談しておけば、初めてというお客でも充分に楽しむこ とができるであろう。

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お座敷遊び入門編 其の一

Posted by admin on 25th 5 月 2008

お座敷遊びは全く初めて、という方の為に、遊び方の基本を説明させていただこう。 お茶屋に上がるには、紹介者が必要であることは前にも述べたが、お茶屋にコネクションがない方でも、京都の著名なホテル、旅館、料理屋を通じて、芸、舞妓 を呼ぶことができる(京都で名の通った店ならば必ずお茶屋とのコネクションを持っているはず)。遠方から観光旅行に来ても、宴席に呼ぶことは十分可能だ。 ただし、この場合は、お茶屋に於いてではなく、芸、舞妓がホテルや料理屋に出向くことになる。
東山区にある宮川町は、たいていのホテルや料理屋から車で20分以内の距離なので、移動時間も含めて2時間半が「宴会時間」と決められている。6時にお茶 屋を出発すれば6時半の乾杯に間に合い、約1時間半の宴席をつとめて8時半にはお茶屋へ戻るというのが一般的なパターンだが、もちろん延長も可能である。 近年は芸、舞妓も忙しく、次の座敷の約束を持っていることが多いので、延長についてもあらかじめ予約しておいた方がよいであろう。
料理がついての宴会以外の座敷を、宮川町では「普通花」とか「あと花」とかと称し、最短を約40分とし、その後は10分単位で延長ができる(ただし、正月と見世出し、衿替えは最短時間が20分程度になる)。
芸、舞妓を食事に誘う場合の「買切り花」は約5時間分、地方への出張などの「出張花」は最低6時間分以上で仕事の内容や出発時間によって増えることもある。
宮川町の公休日は、1月は三箇日と20日、4月は第1金曜と第3月曜、12月が7日と20日と大晦日、それ以外の月は7日と20日である。公休日や早朝に無理をいう場合は、多少割高になることを覚悟しておいた方がよいであろう。

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「旦那について」

Posted by admin on 25th 5 月 2008

「廓」の人間について少しご理解いただけたところで、旦那について説明したいと思う。
旦那とは、芸妓や舞妓と、結婚とは別の形で男女関係を持ち、経済的にも支援する男性のことだ。初めて旦那を持つことを「水揚げ」という。世の男性方の中に は一度は旦那になってみたいと思われる方もあると思うが、これがなかなか大変なことである。昔と違って今の、芸・舞妓は身売りできているわけではないか ら、3つの条件を満たさなければ話は成立しない。
まず男性が、この妓なら応援してあげてもいいな、と思い、女性の方も、この人ならと好意を持ち、そして男性の通うお茶屋の女将が、この二人なら仲を取り持 ちましょう、と引き受けた場合のみである。仲を取り持つ以上は、その妓が良くなるような旦那でなければ、と女将は考えるのだ。話が成立すればお披露目とい うことになる。水揚げならば、姉妹筋や芸妓組合役員、舞妓衆などを料理屋へ招いてもてなし、旦那のついたお茶屋の女将の紹介でご挨拶するケースが多い。 (その場合、普通は旦那本人は登場しない)地味にする時でも関係筋や芸妓役員には金封が配られるので、誰がどこのお茶屋に旦那ができたかすぐ知れるのであ る。
旦那になった客は「誰それさんのお父さん」とか「誰ちゃんのお兄さん」とか呼ばれて廓の中では下へも置かれない。そして廓の人間は口が堅く、決してそのこ とを「まち」に漏らしたりしないのである。芸妓や舞妓がお客のことを「お父さん」や「お兄さん」と呼ぶのも、その人の名前や職業を周囲の人に知られないた めである。また鈴木さんなら「スーさん」、佐藤さんなら「サーさん」などと呼ぶのも同じ意図からだ。(本人同士は話の前後で良くわかっている)しかし、最 近では、経済状況や税制の問題もあってか、旦那のなり手は少なくなってきているのが実状だ。これを危惧して、今年、伝統伎芸の助成や芸妓の高年齢化対策を 目的として「おおきに財団」なる団体が設立されたが、旦那に代わる経済援助をおこなえるようになるにはまだ相当の時間を要しそうである。

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「引き祝い」

Posted by admin on 25th 5 月 2008

芸妓、舞妓をやめるときは「引き祝い」をする。「引き祝」と芸名、本名の書かれた三角の紙に白い物を付けて配るのが習わしであり、これをしなければ、廓に 不義理をしてやめた、ということになる。以前は「白蒸し」というおこわを配り、中身が白だけであれば、「もう二度と廓には戻ってきません」というしるし。 赤飯が入っていれば「また戻ってくるかも知れませんからそのときはよろしく」の意とされた。
結婚、転職など引き祝いをする理由は様々。現在の宮川町ではおこわを配ることはほとんどなく、砂糖や白いハンカチ、白生地などを配るのが一般的。その横 に、白だけではおこがましい、と赤い南天の実などが控えめに添えてある。引き祝いは舞妓でやめる妓も芸妓の洋髪姿で挨拶に回る。白ぬりで回らないのは、素 人になります、の意味であろう。「おめでとう」「おきばりや」「惜しいなぁ」とかけられる言葉の一つ一つに、送る人の廓での人生が写し出されている。

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自前芸妓へ

Posted by admin on 25th 5 月 2008

年期を終える頃になるとまた一つの節目がやってくる。自前になるか、やめるか。自前とは屋形から経済的に独立している芸妓のことで、真の意味での一本立ちとは自前になることであろう。
廓の中か近くに住まいをかまえ、着物類も自分で購入することになるが、それには莫大な費用がかかる。旦那のある妓は良いが、ない妓は働きながら返済してゆ かねばならない。大きな借金を抱えてまでやってゆきたい程、自分にとって魅力のある世界なのか。衿替えはしたものの、芸妓の生活は舞妓の時よりずっと厳し く、芸においてもハイレベルのものを要求されるので、もう一度悩む妓が多いのが現実だ。
年期は普通6年前後。決心が付けば年期明けの日、分家姉妹(同じ屋形出身の芸妓やすでにやめていても連絡の取れる人)はじめ、関係筋に挨拶に回る。もちろ ん屋形の女将にもしっかりとお礼を述べて、芸妓としても人間としても一人立ちするのである。10代半ばで廓に入って来る子らは現在でも母子家庭に育った子 供の割合が多い。自前になって母親を呼び寄せ一緒に住むのが芸妓の夢であり、誉れであると廓の中では考えられている。

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「衿替え」 舞妓から芸妓へ

Posted by admin on 25th 5 月 2008

舞妓生活も5年目を迎えると、そろそろ「衿替え」の話が持ち上がってくる。衿替えとは、舞妓から芸妓へ変わる儀式であるが、舞妓が赤縮緬の衿であるのを、芸妓の白の衿に替えることからこの名が付いたらしい。
この頃になると、舞妓自身も将来の身の振り方を考えなければならない。年期をつとめたらこの世界に残るのか、それともやめて他の職に就くのか。若しくは結 婚するのか。結婚をするには、芸妓舞妓をやめなければならないのが京都の花柳界のしきたり。年頃の女の子とすれば悩むのは当然である。そしてしばらく残ろ うとおもう妓が衿替えをする事になる。衿替えの日取りが決まると、半月程前から「先笄(さっこう)」という髪に結い上げる。宮川町では、この時は黒紋付き に赤地に金糸の縫い取りのある衿をつけるのが一般的だ。赤と黒の衣装。そして口紅の赤と、この時のみつけるお歯黒の黒が調和して何とも美しい。
江戸時代町屋の若嫁が結っていたというこの髪をなぜ舞妓の最後に結うようになったかは定かではないが、先人の口伝えによれば、昔の舞妓や芸妓は今のように 自由に結婚など出来なかったので、せめて舞妓姿の最後に若嫁の姿をさせてやろうという心配りからではないか、という。既婚の女性のしるしでもある「おはぐ ろ」もこの期間だけ許される。そして「先笄」最後の晩、髷のてっぺんにシッポの様に流した毛をとめてある元結(もっとい)は、旦那か、好きな男性かに切っ てもらう習慣である。現在は旦那のない妓がほとんどで、たいていは屋形の女将がこの役をする。
さて、衿替えの当日、屋形には、見世出しの時と同じように舞妓や芸妓がつめかける。白の唐織りの衿に袖の短い芸妓の黒紋付。二重太鼓に結んだ帯。かつら屋 が、新調したかつらをかぶせると、どんなに幼顔で舞妓の方が良いのにと思われる妓でも、不思議と似合っているものだ。姉芸妓や仲人、見習い茶屋の女将も登 場して、見世出しと同じように祝膳に向かうが、女将達が「長い間ようしんぼうしたなぁ」などとねぎらいの言葉をかけると、舞妓の間に経験したつらい事や嬉 しい事がどっと胸に押し寄せて、感涙をとめきらぬ妓が多い。涙がおさまれば切り火を背に左足から屋形を出、挨拶回りに出るが、今度は姉芸妓はつかず1人で 歩くのである。

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「髷替え」

Posted by admin on 25th 5 月 2008

「おふく」

舞妓生活2~3年で、「髷替え(わげかえ)」という儀式を経験する。「割れしのぶ」に結っていた髪を「おふく」という形にするのだが、昔は旦那がつくとこ の儀式をしていたらしい。水揚げと呼ばれる初めて旦那をとる儀式と「髷替え」は切り離せないものであった。町娘が「桃割れ」に結い結婚すると「丸髷」に結 い替えていたのと同じことである。髪型で年齢や身分を表現していた日本古来の慣習が、廓の中にはまだ残っているが、現在では旦那がついて髷替えをする例は ほとんどなく、適当な年齢で吉日を選び挨拶回りをする。それでも、髷やかんざしが地味になり、赤が見えた衿元が白と銀糸で縫いつぶされ、一文字にしていた 帯あげを結んで帯に入れると、胸元もふっくらと見えて、なんとなしに大人っぽく感じられるものである。

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「見世出し」-其の二-

Posted by admin on 25th 5 月 2008

さて、晴れの見世出しの日、朝早くから「見世出しの割れしのぶ」という形に髪を結い上げ、プロの顔師のよって化粧がほどこされ、黒紋付きに身を包む。宮川 町の舞妓全員と関係者の芸妓、女将たちがぞくぞくと集まり、化粧や着付けを見守る。故郷から両親が出てくることが多い昨今では、親たちが大勢の芸、舞妓に 圧倒されながらも娘の晴れ姿にカメラやビデオカメラを回す姿がほほえましい。やがて姉芸妓が正装で登場し、ひとまず小部屋に移動して、姉芸妓、仲人、見習 い茶屋の女将たちが、門出に際して廓の人間としての心得を諭し、鯛やおめでたの品々の並んだ祝膳に形だけ箸をつけて、いよいよお茶屋や師匠宅への挨拶回り に出発となるが、この際、背後から切り火をしてもらい左足から玄関を出るのがしきたりとなっている。
見世出しは3日間、姉芸妓と二人で挨拶もお座敷もまわる。屋形、仲人、見習い茶屋をはじめ、姉芸妓のひいき客、関係筋の芸、舞妓のひいき客からも座敷がか かり、ほとんど10~20分間隔で宮川町中を回って歩く。西陣織の丸帯の重みと共に舞妓としての責任の重さもズッシリと感じられて、どの妓も笑顔が緊張気 味なのが可愛らしい。
お披露目を済ませて正式に舞妓になると、お稽古事も、長唄(唄と三味線)、鳴物、お茶が加わり、足繁く歌舞練場に通わねばならない。舞を含めてこの4つは 宮川町の芸、舞妓の必修科目であり、「多芸に秀でるのが名妓」とする宮川町の方針に沿うものである。他にも、笛、琴、小唄、端唄、常磐津、清元等々の課目 があり、多い妓は8~9つもの稽古に通っている。
お稽古の合間には、「お茶屋さん回り」をするのが1年生の義務である。44軒のお茶屋を毎日「○○どす。またおたの申します」と頼んでまわるのだ。お茶屋 が留守の場合は、メモ用紙に書いて戸口に挟んでおく。出たての妓はひいきの客がいない為、お茶屋も声を掛けにくい。「誰でもいいから呼んで」というお客が あった場合、毎日挨拶回りに来てくれる妓を、と思うのは人情であるり、そこがらごひいきが出来たりする。「あれもしてくれない、これもしてくれない」と、 してもらうことばかり考えている現代っ子達が、他人に何かしてもらうためには自分から足を運び、何度でもお願いするのだ、ということを認識するのに重要な ポイントだ。
雪の降る日でも、舞妓達はコートもショールも着ずに宮川町中を回って歩く。舞妓の一年生は紅を下唇にしかささない。古来日本の女性は紅は下唇だけさしてい たのが慣習として残っているのだが、いかにもおぼこく、可愛らしく見える。見世出しから一年経って姉芸妓の許可を得て上にも紅をさす頃には、白粉もきれい にのる様になり、仕草も一人前の舞妓らしくなっているものだ

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