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「衿替え」 舞妓から芸妓へ

By admin on 2008 年 5 月 25 日

舞妓生活も5年目を迎えると、そろそろ「衿替え」の話が持ち上がってくる。衿替えとは、舞妓から芸妓へ変わる儀式であるが、舞妓が赤縮緬の衿であるのを、芸妓の白の衿に替えることからこの名が付いたらしい。
この頃になると、舞妓自身も将来の身の振り方を考えなければならない。年期をつとめたらこの世界に残るのか、それともやめて他の職に就くのか。若しくは結 婚するのか。結婚をするには、芸妓舞妓をやめなければならないのが京都の花柳界のしきたり。年頃の女の子とすれば悩むのは当然である。そしてしばらく残ろ うとおもう妓が衿替えをする事になる。衿替えの日取りが決まると、半月程前から「先笄(さっこう)」という髪に結い上げる。宮川町では、この時は黒紋付き に赤地に金糸の縫い取りのある衿をつけるのが一般的だ。赤と黒の衣装。そして口紅の赤と、この時のみつけるお歯黒の黒が調和して何とも美しい。
江戸時代町屋の若嫁が結っていたというこの髪をなぜ舞妓の最後に結うようになったかは定かではないが、先人の口伝えによれば、昔の舞妓や芸妓は今のように 自由に結婚など出来なかったので、せめて舞妓姿の最後に若嫁の姿をさせてやろうという心配りからではないか、という。既婚の女性のしるしでもある「おはぐ ろ」もこの期間だけ許される。そして「先笄」最後の晩、髷のてっぺんにシッポの様に流した毛をとめてある元結(もっとい)は、旦那か、好きな男性かに切っ てもらう習慣である。現在は旦那のない妓がほとんどで、たいていは屋形の女将がこの役をする。
さて、衿替えの当日、屋形には、見世出しの時と同じように舞妓や芸妓がつめかける。白の唐織りの衿に袖の短い芸妓の黒紋付。二重太鼓に結んだ帯。かつら屋 が、新調したかつらをかぶせると、どんなに幼顔で舞妓の方が良いのにと思われる妓でも、不思議と似合っているものだ。姉芸妓や仲人、見習い茶屋の女将も登 場して、見世出しと同じように祝膳に向かうが、女将達が「長い間ようしんぼうしたなぁ」などとねぎらいの言葉をかけると、舞妓の間に経験したつらい事や嬉 しい事がどっと胸に押し寄せて、感涙をとめきらぬ妓が多い。涙がおさまれば切り火を背に左足から屋形を出、挨拶回りに出るが、今度は姉芸妓はつかず1人で 歩くのである。

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「髷替え」

By admin on 2008 年 5 月 25 日

「おふく」

舞妓生活2~3年で、「髷替え(わげかえ)」という儀式を経験する。「割れしのぶ」に結っていた髪を「おふく」という形にするのだが、昔は旦那がつくとこ の儀式をしていたらしい。水揚げと呼ばれる初めて旦那をとる儀式と「髷替え」は切り離せないものであった。町娘が「桃割れ」に結い結婚すると「丸髷」に結 い替えていたのと同じことである。髪型で年齢や身分を表現していた日本古来の慣習が、廓の中にはまだ残っているが、現在では旦那がついて髷替えをする例は ほとんどなく、適当な年齢で吉日を選び挨拶回りをする。それでも、髷やかんざしが地味になり、赤が見えた衿元が白と銀糸で縫いつぶされ、一文字にしていた 帯あげを結んで帯に入れると、胸元もふっくらと見えて、なんとなしに大人っぽく感じられるものである。

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「見世出し」-其の二-

By admin on 2008 年 5 月 25 日

さて、晴れの見世出しの日、朝早くから「見世出しの割れしのぶ」という形に髪を結い上げ、プロの顔師のよって化粧がほどこされ、黒紋付きに身を包む。宮川 町の舞妓全員と関係者の芸妓、女将たちがぞくぞくと集まり、化粧や着付けを見守る。故郷から両親が出てくることが多い昨今では、親たちが大勢の芸、舞妓に 圧倒されながらも娘の晴れ姿にカメラやビデオカメラを回す姿がほほえましい。やがて姉芸妓が正装で登場し、ひとまず小部屋に移動して、姉芸妓、仲人、見習 い茶屋の女将たちが、門出に際して廓の人間としての心得を諭し、鯛やおめでたの品々の並んだ祝膳に形だけ箸をつけて、いよいよお茶屋や師匠宅への挨拶回り に出発となるが、この際、背後から切り火をしてもらい左足から玄関を出るのがしきたりとなっている。
見世出しは3日間、姉芸妓と二人で挨拶もお座敷もまわる。屋形、仲人、見習い茶屋をはじめ、姉芸妓のひいき客、関係筋の芸、舞妓のひいき客からも座敷がか かり、ほとんど10~20分間隔で宮川町中を回って歩く。西陣織の丸帯の重みと共に舞妓としての責任の重さもズッシリと感じられて、どの妓も笑顔が緊張気 味なのが可愛らしい。
お披露目を済ませて正式に舞妓になると、お稽古事も、長唄(唄と三味線)、鳴物、お茶が加わり、足繁く歌舞練場に通わねばならない。舞を含めてこの4つは 宮川町の芸、舞妓の必修科目であり、「多芸に秀でるのが名妓」とする宮川町の方針に沿うものである。他にも、笛、琴、小唄、端唄、常磐津、清元等々の課目 があり、多い妓は8~9つもの稽古に通っている。
お稽古の合間には、「お茶屋さん回り」をするのが1年生の義務である。44軒のお茶屋を毎日「○○どす。またおたの申します」と頼んでまわるのだ。お茶屋 が留守の場合は、メモ用紙に書いて戸口に挟んでおく。出たての妓はひいきの客がいない為、お茶屋も声を掛けにくい。「誰でもいいから呼んで」というお客が あった場合、毎日挨拶回りに来てくれる妓を、と思うのは人情であるり、そこがらごひいきが出来たりする。「あれもしてくれない、これもしてくれない」と、 してもらうことばかり考えている現代っ子達が、他人に何かしてもらうためには自分から足を運び、何度でもお願いするのだ、ということを認識するのに重要な ポイントだ。
雪の降る日でも、舞妓達はコートもショールも着ずに宮川町中を回って歩く。舞妓の一年生は紅を下唇にしかささない。古来日本の女性は紅は下唇だけさしてい たのが慣習として残っているのだが、いかにもおぼこく、可愛らしく見える。見世出しから一年経って姉芸妓の許可を得て上にも紅をさす頃には、白粉もきれい にのる様になり、仕草も一人前の舞妓らしくなっているものだ

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「見世出し」-其の一-

By admin on 2008 年 5 月 25 日

「われしのぶ」

舞妓、芸妓のお披露目のことを京都では「見世出し」と言う。
見世出しにあたって、女将はまず本人の姉芸妓とその仲人(お茶屋の女将)、見習い茶屋を決めなければならない。姉芸妓(または舞妓)は廓の中では特別な存 在で、物心両面で本人を支える役である。屋形の女将にはわからない屋形の外での本人の教育は姉芸妓が責任を持ってつとめる。たいがいは屋形の関係筋の芸妓 が選ばれ、本人が名指しできることは99%無いとみてよい。
仲人は文字通り姉妹の仲を取り持つ役。見習い茶屋は見世出し前の一ヶ月程の見習い期間を世話のなる茶屋、の意だが、実際には廓の中にいる間中はやはり本人の物心両面を支える特別な存在のお茶屋である。
芸名は姉の芸名の一文字か二文字をとってつける。見世出しの日取りが決まれば試験を受けなければならない。(宮川町では試験をパスしなければ舞妓芸妓には出られない。課題曲を二つ、お茶屋役員、芸妓役員の前で披露するのだ)
そしてパスすれば「お盃」と言う重要な儀式が待っている。「お盃」は歌舞練場の大広間で行われ、本人と姉芸妓、姉の姉妹筋の芸舞妓、見習い姉妹(同じ茶屋 で見習いをした妓たち)、お茶屋組合役員、芸妓組合役員が居並ぶ中、それぞれに杯事をかわす。盃によって廓の人間として組合からも認められ、また廓の中で 助け合ってゆく姉妹関係も作られるのだ。
そしてこの日か、もしくは何日か後の吉日に、見習い始めの挨拶に回り、仕込みさんではなく「見習いさん」と呼ばれることになる。見習いさんになった妓はそ の日からお座敷に出る。見習い茶屋を中心に様々なお茶屋で実地の訓練を受ける。髪は「割れしのぶ」という若い舞妓の形。(舞妓は地髪で日本髪を結ってい る)半だらという普通の舞妓よりも短い帯をしめる。芸妓ならば、島田を大きめに結い上げたかつらに派手な飾り付けをし、いかにも初々しい。緊張と失敗の連 続であるこの期間には、忘れることのできない思い出も多いという。

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「仕込みさん」

By admin on 2008 年 5 月 25 日

現代っ子が「仕込みさん」の期間にうけるカルチャーショックは相当なものである。
「まち」の感覚から「廓」の感覚へ頭の中を変えてゆかねばならないのだから。この間は立ち座りから箸の上げ下ろしまで厳しくしつけられる。夕方には玄関を 掃除してのれんをかけること。お客をもてなす心を養うためである。先輩芸妓や舞妓が着付けをするとき紐を手渡したり、帰ってきて脱いだ着物をたたんだりし て和服の扱い方を覚えること。少し慣れてくると電話の応対や他のお茶屋へおつかいにやらされたりするが、これは他の女将さん達に顔を覚えてもらうという意 味もある。
お行儀が身につてくると二階のお座敷にお酒を運んだりすることもある。お座敷の雰囲気になれる為もあるが、お客に顔を覚えてもらうのも重要な理 由だ。お客からすると仕込み時代から知っている妓には格別の思いがある様で長くひいきにする例が多い。素顔にGパンをはいていた少女が一人前に成長する姿 を見るのは、男女というよりも親子の情に近いものがあるのだろうか。仕込みの時代はお稽古以外の時間はほとんど他の人達のために費やされる。女将の用事、 先輩の用事、お客の用事等々手伝うことは山ほどある。こうした生活の中で、自分以外の人のために動くというサービス業の基本的な精神を徹底的にたたき込ま れるのだ。一般的な家庭で、お手伝いは頼まれたらイヤイヤする事、と思ってきた少女が、早い子は半年もれすば結構気が付き、自分から用事を捜して動くよう になる。その頃には京都弁も身に付き、舞も形になってきて、いよいよ見世出しの段取りとな

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京の花街ネットワーカー後援会規約(ファンクラブのとりきめ)

By admin on 2008 年 5 月 24 日

このたび、後援会を作りました。また、会員相互のコミュニケーションの場として、メーリング・リスト(ML) も運営中です。
下記に規約を掲載します。
ファンクラブへ参加ご希望の方は、事務局伊東まで。

京の花街ネットワーカー後援会規約

(設立の趣旨と目的)
第1条
もともとは、ほんの一握りの学術研究者たちが利用していたインターネットが、今では私たちにも身近な情報ツールとして使われるようになってきました。WWW(ワールド・ワイド・ウェッブ)という世界中に広がるネットワークの向こうには、年齢も性別も国籍も人種も文化も・・・すべてが異なる人たちと交流できるキッカケが隠されているのです。
そこで、国内はもとより海外でも人気の高い「京都」を起点として、日本の伝統文化について情報を発信する機会をつくることを考えました。
デジタルスクールNeo(京都市中京区)主催の「京の花街セミナー」の参加者が中心となり 、京都宮川町の芸妓「小糸さん」の体験談を手始めに、インターネットを使って紹介していこうというものです。私たち自身が日本文化を再認識するとともに、その伝統文化と情報化社会との融合をめざすことを目的としてこの後援会を設立するものです。

(名称)
第2条
この会は、京の花街ネットワーカー後援会(以下「後援会」という。)と称する。

(所在地)
第3条
後援会は、京都市の株式会社ネットイン京都内に置く。

(事業年度)
第4条
後援会の事業年度は,毎年4月1日から始まり、翌年3月末日で終わる。

(行事)
第5条
後援会は、目的を達成するため次の行事を行う。
(1)「京の花街セミナー」の普及及び仲間の拡大を推進すること。
(2)「京の花街セミナー」を、学習の場としてのみならず、伝統的な京文化との出会いの場とすること。
(3) 生きる京文化とも言える京の花街さんの本業の盛会なる事へのささやかな支援をすること。
(4)後援会の基盤を固めるため、「京の花街セミナー卒業生」を側面的にフォローアップすること。
(5) 会員同士によるパソコン環境が不十分な方々への相互支援活動を行うこと。
(6) 新年会、おばけの会、京おどり鑑賞会など毎年定期的に開催される行事
(7)お見世出し祝賀会、先笄姿を観賞する会、衿替え祝賀会、など会員からの要望により提案された行事
(8) その他後援会の目的達成に必要な行事

(会員)
第6条
後援会は、後援会の趣旨に賛同する次の会員をもって組織する。また、会員は、会長に届け出て脱会をする事ができる。
(1) デジタルスクールNeo主催「京の花街セミナー」に参加経験者
(2) デジタルスクールNeo主催「京の花街セミナー」に関心のある者
(3) 本会の趣旨に賛同する個人

(会員の除名)
第6条の2
会員が後援会の名誉を傷つけ、又は後援会の目的に反する行為のあったときには、第19条に定める役員会において出席者の過半数の同意を以てこれを除名することができる。

(会費)
第7条
会員は、毎年度定められた会費を、その年度の初日(4月1日)までに納入しなければならない。会員が脱会する際には既納の会費は返却しない。

(総会の種別)
第8条
この会の総会は、通常総会及び臨時総会の2種とする。

(総会の構成)
第9条
総会は、正会員をもって構成する。

(総会の権能)
第10条
総会は、以下の事項について議決する。
(1)事業報告及び収支決算の承認
(2)規約の変更
(3)解散
(4)役員の選任又は解任
(5)第5条に規定する行事
(6)その他役員会から付議された重要事項

(総会の開催)
第11条
通常総会は、毎事業年度終了後4ヶ月以内に開催する。
2 臨時総会は、会長若しくは役員会が必要と認め召集の請求をしたときに開催する。

(総会の招集)
第12条
総会は、会長が招集する。
2 会長は前条の規定による請求があったときはすみやかに臨時総会を招集しなければならない。
3 総会を招集するときは。会議の日時、場所、目的及び審議事項を記載した電子メール等をもって、少なくとも5日前までに通知しなければならない。

(役員)
第13条
後援会の会務及び行事を行うために、次の役員を置く。
(1)会長・副会長 (会の代表・副代表)・・ 会長(1名)、副会長(若干名)
(2)監 事・・・・・・・・・・・・・(1名)
(3)会計・・・・・・・・・・・・・・(1名)
(4)総務担当委員 (スタッフ業務) ・・・・ (1名)
(5)行事担当委員・・・・・・・・・・(若干名)

(役員の選出)
第14条
会長、監事は会員による総会で選出する。副会長、会計、総務担当委員及び行事担当委員は、会長が指名する。

(総会の議長)
第15条
総会の議長は、その総会において、出席した役員の中から会長が指名する。

(総会の議事)
第16条
総会の議事は、出席した会員及び書面(電子メールを含む)によって議決に参加した会員の総数の過半数で決め、可否同数のときは、会長が決める。

(監事)
第17条
監事は、会務および会計を監査し、その結果を総会に報告し、承認を受ける。

(任期)
第18条
第13条に規定する役員の任期は2年とする。欠員の補充によって就任した役員の任期は、前任者の残任期間とする。但し、再任を妨げない。

(役員会)
第19条
会長は、役員会を招集する。
2 役員会の議事は、役員の過半数で決定する。

(会計)
第20条
後援会の会計は次のとおりとする。
(1)後援会の事業費は、会費、寄付金及びその他の収入をもって充てる。
(2)入会金は1,000円とし、入会時に納入するものとし、会員が脱会する際には既納の入会金は返却しない。
(3)年会費は、3000円とする。

(その他)
第21条
この規約に定めるもののほか、行事、会計及びその他必要な事項については、規約細則により定めるものとする。
附則1 本規約は、1999年 4月 1日から実施する。
(1)会員相互の連絡を密にするため、なるべくメール交換を行う。
(2)デジタルスクールNeo主催「京の花街セミナー」の普及活動として個人のできる範囲で情報発信、パンフ等の配布等を行う。
(3)デジタルスクールNeoは、会員に対し、京の花街セミナー及び京都情報等について、なるべく定期的に情報を送る。
(4)事務局は、要望があれば、デジタルスクールNeoと協議し、京舞の会等への鑑賞会等の事業を企画する。
附則2 この規約は、2007年7月15日に改正し、改正後の規約は、改正日から実施する。

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舞妓になるには

By admin on 2008 年 5 月 24 日

では、少女が一人前の芸妓になるまでの変化を、儀式とともに追ってみよう。 芸妓舞妓になりたいという少女が宮川町へくる場合、何らかのコネクションを頼りに紹介されてくるのが普通である。 女将の遠縁であるとか、馴染みの客の知り合いであるとか、地方のイベントへ出張した舞妓を見てその場で申し込んだり、 修学旅行で京都にきてみた舞妓が忘れられず、旅館のつてで、という人もいる。 現在では身売りなどという話は全くない。屋形の女将と面接の折は保護者同伴であることが望ましい。 未成年者であれば当然保護者の承認が必要だということもあるが、ともすれば誤解されがちなこの世界のしくみを、 しっかりと親御さんに説明し、理解してもらわねばならないからだ。
一度舞妓になれば5~6年はやめることができないがその覚悟はあるか、 厳しい修行に耐えるだけの根性はあるか、を見抜くため、女将はゆっくりと時間をかけて説明をしながら本人や保護者の反応をチェックする。 もし本人がネを上げた時、「かわいそうに、すぐ帰っておいで」などという親ならばこの世界ではつとまらない。
甘やかされて育った子かどうかは経験の長い女将ならすぐわかるという。 面接でOKがでれば、住み込みで修業に入る段階にかかる。 中学生かそれ以下ならば京都の学校に転入するか地元で卒業してから入るのか。 卒業していれば一日でも早く修行に入らなければならない。 普段着と身の回りの品をまとめればすぐ屋形に住み込むことができる。 この日から見習いに出る日まで少女は「仕込みさん」と呼ばれることになる。

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舞妓と芸妓

By admin on 2008 年 5 月 24 日

さて、いよいよ廓の花形、芸妓、舞妓について説明しよう。
芸妓、舞妓は宴席の花である。華やかな衣装に身を包み、笑顔や会話で客の心を和らげ、三昧の音や舞でムードを盛り上げる。 ドンチャン騒ぎしたいときには賑やかに、落ち着きたいときはしっとりと、様々なお客のTPOに合わせて座敷をプロデュースするのは決して容易なことではない。 本芸に於いても、舞、唄、三味線、鳴物等、たいていは5~6つ以上の稽古事に通っている。 そうでなければ多様な客の要望に対応してはゆけないのだ。
舞妓とは芸妓になる前の15才から20才くらい迄の少女のことである。 戦前は10才から15才の年少者であった為、座敷では舞だけを披露したのでこの呼び名がついたのが大正時代だとか。 江戸末期の町娘の姿を伝えるだらりの帯は全国にも知られ、京都観光事業の一端を担っている。
芸妓も舞妓も長く裾を引いた着付けをする時は必ず左手で褄を持つ。 芸妓を俗に左褄と呼ぶのはこのとこからきている。 花嫁や太夫は右で持つがこの場合、右に褄の合わせ目がきてそのすぐ奥に長じばんの合わせ目があるので、つまりは手が入りやすいというわけだ。 左手で持てば褄の合わせ目は左、しかし長じばんの合わせ目は右であるから、男性が手を入れようとしても入らない。 芸は売っても身は売りませんよという意味で、芸妓舞妓は誇りを持って左褄を取るのである。

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お茶屋

By admin on 2008 年 5 月 24 日

次にお茶屋についてであるが、「茶屋」と称しても喫茶店ではない。 祇園甲部、祇園東、上七軒が、つなぎ団子をマークとしているのは、八坂神社、北野神社に参詣の客の為の茶店が発展してできた花街であるからで、 お茶屋という名称はその名残なのだ。
茶店の頃はともかく現在ではお茶屋は全部「一見(いちげん)さんお断り」である。 「一見さん」とは初めて見る客という意味であり、つまりは完全会員制ということなのだ。 入会金などはいらないが、馴染みの客の紹介がなければ足を踏み入れられない、いかにも敷居の高そうなこの店を、どう理解すればいいのだろうか。
一口に言ってイベント企画会社のようなものである。屋形(やかた-置屋のこと)は、プロダクション、芸妓はタレントといったところであろう。 お客が酒席をもうけたいと思いお茶屋に相談すれば、女将が屋形へ電話をかけ芸妓や舞妓の手配をする。 会場がお茶屋であれば酒や料理の手配(京都ではお茶屋と料理屋は分業されており、お茶屋で食事をする場合は料理屋からの仕出しとなる)、 ホテルや料理屋での宴席であるならば往復のタクシーの手配等々。お客の要望によっては料理屋や旅館、二次会のスナックの紹介までする。 そして花代や御祝儀、諸経費は全てお茶屋がたてかえ、後日まとめてお客に請求することになる。
馴染みの客ならばサイフを忘れても一晩安心して遊べるというこのシステムは、お客とお茶屋の間に相当の信頼関係がなければ成り立たない。 「信頼できるお客様のご紹介ならば…」という「一見さんお断り」のしきたりは、300年の歴史の中で必然的にできた先人の知恵なのだろう。 またお客の立場からすれば、お茶屋の馴染み客となることは、仕事はもちろん、氏素性、マナーもきちんとしていると認められたという事であり、 京都の経済人の間で、お茶屋で遊ぶことが一つのステイタスになっている理由はここにある。
現代社会の中でイベント企画としてのお茶屋の仕事はかなり多様化してきている。 酒席に限らず、イベントへの派遣、地方、海外への出張、繪や写真のモデルに舞妓が使われるのもしばしば。 着付教室の生徒(女性に限る)に、男衆(おとこし)と呼ばれる着付けの専門職が、芸妓舞妓の着付けを実演してみせることもある。 お客がある程度自由に企画でき、それに柔軟に対応していけるシステムであるからこそ、お茶屋遊びは幾時代も続いてこられたのだ、と言っても過言ではない。
お茶屋の平均的な造りは、まず格子戸をくぐると玄関の間があり、すぐ二階へ続く階段が見える。二階はお座敷。 広間、表、中の間等々呼び名はお茶屋によって様々だが、2~3部屋あるのが普通。 一階部分、玄関の間の奥はお台所(おだいどこ)。炊事場ではなく、事務室兼茶の間の様なものだ。 女将が帳面をつけたり、芸妓がお酒や扇子を取りに来たり。 座敷よりこの雰囲気が好きなどと言って、なじみの妓や女将とうどんをすするお客もいるが、そこまで遊びなれる迄にはたいがいの時間がかかる。 お台所の次は奥の間。普通は女将の居住空間だ。次に「裏」と呼ばれる炊事場があり、中庭があったり、その向こうに離れ座敷があったりする。 舞妓の部屋やカラオケルームを持つお茶屋もあるが、いづれにしろ間口が狭く奥行きが広いウナギの寝床造りがほとんどだ。 この京都独得の建築用法はそのまま京都人の精神とも受け取ることができる。

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宮川町

By admin on 2008 年 5 月 23 日

それでは宮川町という廓を紹介しよう。
京都市東山区、鴨川の東岸に位置するこの廓の歴史は元禄時代にさかのぼる。室町時代に始まった祇園祭の神輿洗いの神事の際、御神水を汲み上げるため、鴨川の四条大橋から団栗橋迄の間を「宮川」と呼ぶのが地名の由来である。
この地では、出雲の阿国が元禄の代に歌舞伎踊りを興行してから芝居小屋が立ち並ぶ場所となり(現在の南座もその一つである)、その見物客のために芝居茶屋 ができ、廓へと発展したらしい。芝居の役者、芸妓、遊女が同居した江戸時代のこの街は一種独特の味わいがあったに違いない。菊池寛の「籐十郎の恋」を読め ばその賑わいを垣間見ることができる。その昔、四条の南座を一丁目に五条の八丁目迄ズラリと軒を連ねたお茶屋は、現在では44軒。芸妓が40数名。舞妓が 20数名。その数は減少したが、京都五花街の中では2番目である。

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