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      砦の中の世界

      By admin on 2008 年 5 月 23 日

      なぜ、廓の人々の心の中に囲いができたのか。その要因を推察する時、水商売に対する偏見を述べないわけにはゆかない。
      ある者を軽蔑し、自分はそれより上だと安心するばかげた観念は、現代日本社会に根強く残り、一部地域の人々の心を傷つけているが、それとよく似た差別が廓 の人々に対しても行われることがある。「芸妓ふぜいが…」とか「芸妓あがりのくせに」などと軽蔑されるのもしばしば。結婚の時、相手方の親族に反対の理由 として取り上げられることもある。また、邦舞や邦楽の師匠や歌舞伎俳優などは、芸術院会員だの人間国宝だのと認められるのに芸妓からはまだ一人も出ていな いことを見てもその地位の低さが解っていただけよう。
      現代でもそうであるのだから廓の形成された時代ならばなおのことであり、しかも廓の人間のほとんどは自らの意志に反して家族の犠牲となり,身を売られてき た女性たちであったのだ。その人々がせめてもこの世界に中でのみ通用する道理をつくり、自らの心のなぐさめとしてきたのを誰が責めることができよう。そう でもしなければ、他のために苦界に身を沈め、しかもそれが故に差別を受けるという不条理を現実のものとした時、心のバランスを保ってはいられなかったので はないだろうか。廓独得の習慣や考え方を分析していると、どうもそんな気がしてくるのだ。例えば、舞妓や芸妓が姉妹の盃事をかわしたりするのは、家族に縁 の薄い人達が盃によって家族になり、助け合いを支え合ってゆきましょう、という意味だともとれる。旦那ができればお披露目をして祝福を受ける。世間一般で は「不倫」と呼ばれ、お国によっては死刑にもなりかねないこの行為が、廓の中では堂々と行われるのだが….
      一生結婚などできないかもしれない女性がせめてこの狭い世界の中だけでも、男女として認められたいと願うことを、倫理に反するの一言で片付けて良いものだろうか。心の中の囲いは、300年の歴史のごく早い段階で、内側、外側の両方から築かれたものと思われる。
      囲いの中の別世界では所帯じみた事はタブーである。昔は舞妓や芸妓は買い物は全て使用人にまかせる習慣であったらしい。どこそこのだれそれ姉さんは初めて 買い物をした時お金を払うことを知らなかった、等という話が尤もらしく語られており、自分で買うことよりも買ってくれるお客を持っていることの方が良しと される。掃除や洗濯や料理など手が荒れるようなことはしてはいけない。お客人は家庭を忘れようと廓に来ているのだから、荒れた手や大根一本いくらなどとい う話題は興ざめであるというのだ。物の値段を知らずもちろん自分の花代がいくらなどということも知らない。徹底して浮世離れした妓を作り出してきたのは、 案外お客を真ん中に「まちの女性方」と真っ向から張り合いたかったからかも知れない。
      家庭にあるものをサービスしても勝ち目はない。だから正反対のものを、と頭をひねり、長い間努力を重ねてきた結果としての廓のしきたりが、現代も男性の心 を掴んで離さない魅力となっている。女性方の力が強くなった昨今では、あくまでも男性本位である廓の考え方は、失われつつある大和撫子の魂の最後の砦と なっているのかも知れない。

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      「廓」の歴史・京の廓

      By admin on 2008 年 5 月 23 日

      「廓」は約300年前、男性にとっては「天国」女性にとっては「地獄」として形成された。江戸で吉原、京で島原とうたわれた2大遊廓の隆盛は文学や歌舞伎 にもしばしば登場する。夜というのに明るい町並み、座敷には酒や料理。三味や太鼓の音。そして美しい遊女。男たちはこぞってくり出した。しかし、派手に着 飾った遊女たちは実は貧しさのために身を売られてきたうら若き乙女ばかりだったのだ。美しい着物をまとい、酒やご馳走を前にして暮らしていても、彼女たち は廓を「苦界」と呼んだ。化粧より衣装よりもその「悲哀」が、彼女たちをいっそう美しく見せていたのだろうか。昭和33年に売春禁止法が出来てから、廓は 大きく変化した。吉原は姿を消し、島原には太夫は7~8人いるものの、観光ショーやお座敷に出るのみで、夜毎春をひさぐことはない。日本人の生活水準は向 上し、身売りなどということもない。自らの希望で太夫になり、誇りを持ってつとめている。吉原や島原など遊女を中心とした廓は、売春禁止法によって衰退し たが、芸妓を中心とした廓は今でもしっかりと生き続けている。

      京都には現在5つの花柳界が、芸妓、舞妓の活動の場として残っている。上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町、そして宮川町(アイウエオ順)。それぞれ300 年前後の歴史を持つ5つの界隈には、屏や堀の囲いはなく、一般の地域と地続きで誰でも自由に往来できる。一般の人々も住んでいる。が、そこには目に見えな い精神的な囲いがしっかりと残っているのだ。「廓」と書いて、「さと」と読むことがあるが、では「さと」の中から外を表現するときどう言うか。それは「ま ち」である。今でも宮川町では「まち」という言葉が頻繁に使われている。芸妓が素人向きの着物を着ていると「あんたはん、まちの人みたいやなぁ。」自前芸 妓が少し離れた所の住まいから通っていると、「あの人はまちに住んではるさかい、大変や。」と近所との生活習慣の違いを心配したり。町内に住んでいる一般 の人々のことを「あの人はお町方やから」と感覚の差を指摘する。形はなくても、心と生活の中で、歴然とした囲いが存在するのである。それが現在も人々を惹 き付けてやまない廓の魅力の本質なのではないだろうか。

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      花傳の舞妓さん、芸妓さんの紹介です。

      By kouenkai on 2008 年 5 月 1 日

      花傳の舞妓さん、芸妓さんの紹介です。

      カテゴリー: 花傳・小糸ファミリーの紹介 | コメントは受け付けていません。

      ロイターのニュースに小桃さん登場です。

      By kouenkai on 2008 年 4 月 11 日

      ・ロイターのニュースに小桃さん登場です。

      Komomo, a geiko (geisha), poses for a photo between performances of the annual spring dance performance at the Kaburenjo theatre in the Miyagawa district of Kyoto, Japan April 11, 2008.
      記事:Modern-day geisha triumphs in closed, traditional world
      写真:Modern-day geisha triumphs in closed, traditional world

      記事:Watching a geisha dress: more exercise than elegance

      カテゴリー: 小桃さん | No Comments »

      YouTubeに投稿されていた動画です。

      By kouenkai on 2008 年 3 月 1 日

      Geisha Girl “documentary”

      http://jp.youtube.com/watch?v=y5B7ZxUsWLA&feature=related

      http://jp.youtube.com/watch?v=909q_lOpbUk

      http://jp.youtube.com/watch?v=kfsFZG0GNak

      http://jp.youtube.com/watch?v=4QT1YHN-kSE

      http://jp.youtube.com/watch?v=FxZ7Z-6PDNI

      カテゴリー: 動画 | コメントは受け付けていません。